×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



食事を済ませて外に出ると陽は西へと向かい始めた頃だった。
互いに満足そうな顔で店から出てくると道を歩いていた一人の女性とぶつかった。
「痛っ。」
「む、これは失敬。」
ぶつかったことに謝ろうと永禮が一礼すると相手もペコリと頭を下げる。
女性はそのまま進行方向へ駆け足で去っていった。取り残されたその場にはふんわりとした香水の香りが漂っていた。柑橘系の匂いが実に爽やかにさせてくれる。。
その後ろ姿を見送っていると、ふと懐に何かが入っているのに気が付いた。
不審に思い取りだしてみると永禮宛の手紙だった。その文体は達筆な文字で惚れ惚れする程である。
この時代寺子屋などの教育があったものの、未だに学問は世に広まっていなかった。特に庶民などで読み書きができない人も少なくはない。
「おや、手紙ですか。いつの間に入れたのでしょうか?」
「大体推測はできます。それより気になるのは中身です。」
恐らく先程の女性と交錯したときに入れられたと思われるのだが、手紙の内容にはさらに驚いた。
   『拝啓 坂本永禮殿
   本日辰の刻、一条河原にて待つ。
   春日天上』
なんと相手はこちらの名前を知っているのである。
これといって対外試合も行ったことはなく、行動も秘密裏に動いているはずだから名前が漏れるなどということは決してないはずだ。
「なんと、果たし状ですか。」
「そのようですな。」
表面上冷静を保っている永禮も流石に驚きは隠せなかった。
「して、相手に身に覚えは?」
「ありませんね。ですが相手に検討はついています。」
「ほぉ……もしや昼間の」
「左様。それ以外に考えられません。」
坊主と武士を足して二で割っている頑真でさえ、その眼光は見逃さなかった。
歌舞伎者の意識は確実に此方を向いていて、さらにあの一件もまるで自分の実力を見せびらかしているようにも思えた。
人混みの中でも注目されていることに敏感に気付き、その上外見のみで実力まで把握していたのである。
しかし彼には興味がある。武人としては勝負を申し込まれた以上は受けなければならないし、なにより相手の実力がどの程度のものなのか確かめてもおきたい。
それよりもどうやって永禮の名前を知ったのか。それが一番知りたかった。
「……受けるのですか?」
頑真は不安そうな顔をして訊ねた。確かに此方側には危惧することが一つあった。
それは挑戦を受けた永禮の体調である。先日の傷は完治したとは言い難く、体力も回復しつつある状態なので激しい運動は避けておきたい。
「受けなければ武の道に生きる者ではありませんよ。」
心配なさそうな顔をしている頑真に笑いながら応えた。
「それより風が出て来ました。明日は雨かも知れませぬな。」
上空を流れる雲は足早に北へ向かっている。地上でも風が強くなって旗などが靡いている。
人影まばらな砂塵舞う中、ひたすら二人は足を止めることなく何処かへと歩いていった。



辰の刻、一条河原。その川縁に永禮と頑真は先に来て待機していた。
陽も沈まりかけており、辺り一面は真っ赤に染められている。
相手が来るまでの間に永禮は現在使っている『なまくら』の手入れをし、頑真は焚き火を起こして明かりをとっている。焚き火の傍らには御法度なはずの魚もあるのだが。
と、その時上流から一隻の川船が此方に向かってやってきた。乗っているのは二人で船先には昼間の歌舞伎者が仁王立ちで立っていた。
無造作に置かれている岩に腰掛けて静かに精神集中をしていた永禮は薄目を開けて誰かが来たことを確認すると、再び瞼を閉じて息を整え始めた。
河原に接岸して二人が船を降りると船は再び下流へと下っていった。恐らく船頭は彼とは無関係なのであろう。
昼間に見た時と全く変わらない格好でやってきた。顔には緊張の色が出ておらず平常心を保っているように思える。
既に刻限から暫く経過していた。相手を焦らす作戦だったのであろうが、落ち着いているので逆に退屈な程であった。
「お初にお目にかかります。春日天上と申します。」
遅れてきたにも関わらず決して詫びることはなかった。
だが物言いははっきりとしていた。凛とした立ち振る舞いに、物怖じすることなく澄んだ声を出す。実に肝が据わっていた。
外見こそは歌舞いているが内面は率直なのかも知れない。
「春日殿……でしたかな。拙者、」
「怪我をしている、と。知っていますよ。相手は大坂城代・石田の影で名は『風霧』。組頭筆頭でその実力は右に出るものはいないと評判の。」
さすがに驚きを隠せなかった。自分ですら相手の素性を知ることができなかったのに彼はまるで全てを知っているかのように話している。
厳密に言えば幕府の情報網よりも格段に優れている情報を持っているのである。一体何者なのか、疑いたくなる。
ただ直感で判断したことは『ただの歌舞伎者ではない』ということである。
「……でしょ?ご心配なく、お時間は取らせませんから。」
口元には笑みが浮かんでいる。余程自信があるのか、若しくは未知の実力を相手にする興奮か。
だが、笑みを浮かべたのは相手だけではなかった。永禮も先程とは一変して余裕のある表情に戻っていたのである。
相手は顔色を多少曇らせながらも、腰に掛かっている刀へ手をやった。
そしてスラリと抜き放つと剣先を永禮の方向へ挑発しているらしく向けた。が、ピクリとも動かない。
この期に及んで永禮は彼の力量が見えず、観察しているのである。
しかも判断しかねるのではなく底が見えないのである。そういう場合無闇に相手の懐に飛び込んでいってしまうと確実に命を落とすことになる。
そのため今最善の策は慎重に待つことなのだ。
無論ただ待つだけでなく彼を観察して、それを土台にして相手の出方を想定していた。現代風に言えば“シュミレーション”しているのである。
脳内で相手の出方を予測し、それに応じた行動を頭の中で考えているのである。その現実では起きるか起きないかわからない予測をするだけでも大きな力になるのだ。
この剣を交えない争いは暫くの間続いたが、やがて永禮の腕がようやく動いた。しかしながら動いたのは刀を抜くとき支えとして使う左腕であった。
(おや……?)
困惑した表情の面々を永禮は全く気にすることもない。
そして左腕は腰に帯びていた刀を掴むと、奇妙なことに反対側の帯に再び刀を指した。その姿は普段抜刀するのと全く正反対の関係にある。
これが意味するもの、つまり右腕は一切使わずに左手一本で勝負するという形の現れであった。
これには長年連れ添ってきた頑真も度肝を抜かれて呆然としていた。
(永禮殿、正気か……?)
心配するのも当然である。
永禮が普段抜刀する際に使用するのは右腕。だが今回は逆手である左手である。
その実力は未知数であり、このように実力が判断しにくい相手の場合に用いる奇策とは程遠く、正に無謀というのに等しい。
だがその眼は既に臨戦態勢に入っている。構え自体も左右反転させた構えながら居合いの姿勢になっている。
奇策でも無謀でもなんでもない。真剣なのである。
一方相手はこの構えに多少困惑しながらも、そのまま立合を続けるべく構えをつくる。
根本から切っ先まで一直線の細い剣を相手の顔に向け、剣を持つ右腕は心持ち体の後方に移動させる。
下半身は腰を屈め、やや体勢を低くしている。足先は向かうべき方向を指し示している。
(加速を付けて攻撃力を増やすつもりか……果たして永禮殿は如何なる手段に出る?)
頑真はあくまで冷静に状況を分析していた。
相手は猛牛のように突っ込んでいき、その勢いを剣に伝わらせてそのまま頭蓋を突き抜くようである。それに対して永禮はそれを真っ向から受け止め、逆居合で迎え撃つ。
この状況を頑真は双方申し分ない実力の持ち主だと客観的な視点で判断した。
手前にある焚き火の炎は昼前から吹き荒れる風に負けないで燃えており、強い風に揺られながらもその炎は天に向かって猛っている。
そんな炎を絶やさずに木を入れているのだが、次第に手の届く場所に置いてあった木々が少なくなってきた。
風も強く、冬間近で寒さも厳しくなっている。火に当たらないと凍えてしまうだろう。
しかも場所も悪い。河原で辺りには風を遮るような木も建物もないし、川沿いに風が流れていくために非常に寒い。
そのため頑真は暖をとるために焚き火をしているのだが、このままでは火が消えてしまい体が冷えてしまう。
頑真がふと立ち上がろうとした時であった。
疾風が河原を通り過ぎていったのである。まるで足の疾いカマイタチか何かが走り抜けていったかのように。
“カマイタチ”という妖怪が日本には存在し、これは風が原因なのも先に話したことだが、実際には鼬ではなく小さな人間だとする説が主流である。
風の勢いに思わず踏ん張り、反射的に眼を閉じてしまった。
そして瞼を開けた次の瞬間には勝負は決していたのである。
つい先程まで永禮と相手との距離は剣が到底届かない程であったのに今ではその気になればすぐに手に持っている刀で刺せるくらいの距離に縮まっていた。
鞘の中に収まっていた永禮の刀も出されている。相手は先程から先が細い剣を出している。
なのに不思議なことに互いに切り傷一つ見られなかった。血一滴すら流れていないのである。
もしこれ程の実力者が立合をする場合には必ず切り傷程度で済まされないくらいの傷になるであろう。だが、二人にはそれがない。
一体目を逸らした瞬間に何が起こったのか頑真にはさっぱりわからなかった。
そして今眼に入っているのは―――永禮の刀の切っ先が相手の襟首に突きつけられている光景だった。
永禮はやや体勢を低くし相手を見上げる格好となっているのだが、その態度は実に風格と余裕が漂っていた。
対して相手の表情は暗かったが、その中には僅かな明るみも見られた。
そして刀を鞘に収めると何事もなかったかのような顔をして頑真の方へ歩み寄ってきた。
「遅くなりました。」
「傷の方は如何ですかな?」
背中の傷である。治りが悪い傷は後々に影響が出かねないからだ。
しかし心配なさそうであった。
「幸い手間取らずに済みましたので痛みませぬ。問題御座らぬ。」
「左様ですか……。参りましょうか。」
土手を上がる歩みも遜色ない。改めて心配の必要はないと思った。
ふと振り返ると河原にはまだ炎が燃えさかり、その傍らには先程の歌舞伎者が座り込んでいた。
いつの間にか日は暮れて辺りは闇に覆われていた。


一刻程した後、昼に永禮とぶつかった女性が河原に足を運んできた。
提灯を片手に女の夜道を急いできたらしく、手に持っている提灯は激しく上下に揺れている。
召している物は派手さはないが、心を落ち着かせる衣服を身に纏っていた。
「……“てんじょう”の奴、大丈夫かな。」
顔色こそ平常さを装っているが、口から出てくる言葉は正しく誰かを捜しているようであった。
そして河原に座り込んでいる人影を見つけると、真っ先に走っていった。
河原に敷き詰められている小石・石の類は彼女の体力を余計に消耗させていく。
人影の側には燻っている焚き火の残り火があり、それに当たっている形でやや俯きながら座り込んでいた。
「てんじょう、どうだった?勝てたかい?」
しかし返事はない。
不審に思った彼女はその辺に落ちていた木の棒で突っついてみるが、やはり反応はない。
彼女は首を傾げた。肩がゆっくり上がったり下がったりしているのに反応は全くない。
不安になり、手のつけられようのない状態でいるとき微かな息が聞こえてきた。
すー……すー……
寝息であった。なんとも器用に座りながら眠っているのである。
(無駄な心配かけて……なんて奴だい)
そう心に思っているが、反面何事もなく安心した気持ちが含まれていた。
が、人が一生懸命捜していたのにこうして眠っているのも腹が立ってくる。ちょっとした悪戯でも仕掛けてやりたいという思いが湧き上がってきた。
その辺に落ちていた木の棒を拾い上げると、それで彼の体を試しに突っついてみた。
彼の体は多少揺れたが、すぐにダルマのように均衡を取り戻して再び同じ格好で寝息を立て始めた。
彼女はそんな光景を滑稽に感じた。
面白がってさらに棒でつんつんと突っつくと彼の体は突如平衡を失い、地面に向かって一直線に倒れていった。腐った大木が自然に倒れていくように。
さらに悪いことに落下地点には今も燻っている焚き火の跡である。
彼は勢いに逆らうことなく、全てを委ねてすーっと地面に吸い寄せられていった。
そして何物に拒まれることなく地面に着地した。
腹に熱いモノを当てられ、それまで石のように固まっていた体が突然躍り上がった。
それも当然である。燃え残りになった炭とは言え、未だに千度以上の温度を保って静かに燃えているのである。
恐らくその上に燃える物でも乗せれば簡単に炎を上げて燃え上がるだろう。
そして人が話す言葉に聞こえないような奇声を発してその熱さを表現するが、誰にもわかるはずがない。
「……目ぇ覚めたかい?」
半ば呆れた様子である。物騒な世の中で平然と居眠りをしていて事件に巻き込まれない方が奇跡である。
なにより昼間に喧嘩を買っているために仕返しされる危険性すらある。
「あ、琴音(ことね)か。どうした?」
人が心配しているのに対して当の本人は我が身の危険など全く感じていないようであった。
つい先程まで寝ていたので“琴音”と名乗る女性が来たのにも気付いていない。この場所に来ていることに驚いた様子もない。
「琴音、先程はご苦労だったな。」
「今更になって何を言い出すんだい。……礼には及ばないよ。」
まるで琴音がそのような返事をするのがわかっていたように、かっかっかと笑い始めた。
琴音から見てこの“天上”という男はいまいちわからない人だと感じている。
つかみ所がないのだ。いつも飄々としていて、時には生意気なことを言ったりして苛立ったりするが、それでも心の底では許せるように思えるのである。
なにより一緒にいて落ち着く、というので彼女は一緒に旅をしているのだが。
が、次の瞬間には彼女の穏やかな笑顔も凍り付いてしまう。
何者かが此方に向かって歩いてきたのだ。しかもその顔には見覚えがある。
昼間に狼藉をはたらいていた浪人達だった。しかも徒党を組んでの仕返しである。
数は目算して十くらい。一人一人の実力はそれ程強くはないが、まとまって向かってくると厄介なことになる。
「天上、後ろ!」
背後から振り下ろされた刀は河原の石を真っ二つに斬った。代償として若干欠けはしたが。
しかし生身の人間は斬られるどころか掠りもしていない。空振りした反動の隙を突いて大腿を貫通させた。
続いてかかってきた侍も横薙ぎで片付ける。さらに襲いかかってきた侍も、天上が振り下ろす刀によって肩口から脇腹にかけて一直線の筋ができるくらいの傷を受けた。
その立ち振る舞いに圧倒され、思わず躊躇してしまう始末である。
「なんだ、もう終いか?」
天上の眼は先程までの温かみを帯びた瞳とは一転して冷徹で威圧感を与えていた。
その剣幕に誰もが声を発することができず、動くことすらままならずにただただ立ち尽くすだけである。呼吸することさえ難しく過呼吸になっている輩まで存在する程であった。
だが一人だけは躍起になっている。先程恥をかかされた三人の内の一人である。既にその場に居合わせた二人は彼の刃の前に倒れてしまった。
このまま帰ると二度も彼の前に屈したという事実が残ってしまい、到底世間に顔向けが出来ない。
汚名挽回には彼を倒すしか方法はない。
暗示に掛かったかのように動かない足を振り切ると、一気に天上へ向かって突進した。もはや彼は気合で行動するしか方法はなかった。
そして手負い猪のように死に物狂いで向かってくる相手に天上は剣を構える。
目の前にいる仇しか見えていない相手の侍は、迫る勢いを増した上で手にしている刀を突き出してきた。
だが天上にはこの場面を実に客観的に捉えていた。
今の相手が格下の実力だからではなく、数刻程前に対峙していたあの状況と重なるのである。
あの時の自分が相手で、今の自分が先程の永禮に当たっている。
天上は繰り出されてきた刀を自らの剣でいなし、相手と交錯する間際に体を翻す。
一瞬のうちに視界の中から消えたことに相手が戸惑っているところに、横から出てきた天上が瞬く間に獲物を捜していた刀を真っ二つに斬りおとした。
だが、そんなことで諦めなかった。たとえ刀がなくなっても必死に抵抗した。傍らにいる天上につかみかかり、川の中へ引きずり込もうとした。
しかし相手の力を逆手にとり、相手の力を巧みに利用して川の中へその体を突き落とした。
全身ずぶ濡れになって、ようやく抗う心が挫けてしまった。それは完全なる敗北を意味する。
徒党を組んで襲ってきた先程の勢いは全く見られず、返り討ちにされた仲間を抱えて浪人達はすごすごと退散していった。

―――確かにあの時、優勢に立っていた。
未だに永禮との立ち合いに疑問を感じ、ひたすら反芻していた。その間琴音の言葉は全く耳に入っていない。
他者から見ても、永禮が鞘から刀を抜き放つ直前まで完全に天上が優勢に立っていた。その差は僅かに一歩の距離を置いているだけである。
しかし、その一歩を詰めた時点で天上は一気にその立場は逆転しているのである。
突きを繰り出す刹那、耳元を風の通り過ぎる音が聞こえ、本能的に足を止めた。
永禮の鞘からは既に刀が出ており、その切っ先が左の首筋を捉えていたのだ。
もし足を止めていなかった場合には容赦なく斬られてこの場に命を保っていることすらなかったであろう。
だが天上自身はそれが不可解な出来事だとは決して思っていない。要するに“相手のほうが上”だったのである。
斬られる瀬戸際まで引き寄せて、圧倒的不利な場面から脱却できるほどの実力を兼ね備えている使い手。そんな相手と剣を交えることができた興奮が今になって蘇ってきた。
しかし事の経緯を全く知らない琴音にとって天上が笑っているのが理解できなかった。
「……あんた、なに笑っているんだい。なにか良い事でも起きたのかい?」
怪しげな笑いに不快感を隠さない琴音。だが依然として笑いは止まっていない。
ふと空を見上げ、夜空に輝く星空を眺めて呟いた。
「そうだな、面白いモノを見つけてしまったかな。」
「面白いモノ?」
「当分楽しめそうだ。お前自身も、な。」
そう言うと河原を川下の方向へと歩み始め、取り残された琴音は天上の背中を一生懸命に追いかけていった。
二人の背中を押すように風が吹き抜けていく。その風は新たな嵐の幕開けだったのかも知れない……。




     第十話へ   投稿小説一覧に戻る