京の街に、深々と雪が舞い降りてくる時期になった。
 これまで秋の貞操が残っていた街並みにも、雪化粧によって薄っすらと白く飾られる。
 しかしその白は薄命であった。雲の切れ間から太陽が顔を出せば、抗うことなくその純白な姿は地面に求めて地上から消えてしまう。
 容赦なく降り注いでくる光を避けて生き残ったとしても、いつかは天に召される運命であった。
 冬の気配深まる昼下がり、とある人物が郊外へと足を向けて歩いていく。堂上嶽家である。
 石田家に仕えながらも密かに坂本達と通じている彼だ。
 彼の身分上、頻繁に会っては仲間内から怪しまれるため月に数回の割合で会って情報交換を行っている。
 この日もまた情報交換のために京の外れにある寺を目指して北風の中歩いていた。
 (永禮殿とお会いするのも一月ぶりか。熱燗を片手に飲み交わしたいな……)
 身に凍みる寒さを感じつつ、編み笠を深く被りなおして道中を急いだ。

 寺の門を叩くと、中から厳つい体格の和尚が出てきた。
 もしも武門の道に入れば功名を挙げることができたであろうが、俗世を捨てた身の上である以上それも叶わないことである。
 和尚は堂上を奥へと招きいれ、離れへと案内していった。
 通された離れは四畳半ほどの広さの茶室で、建物自体はかなり古いがそれがまた趣を感じさせる。
 和尚は亭主の座に座り、沸き立っているお湯を茶釜から柄杓で取り出して茶碗へと注いだ。
 古式の礼法に則って茶を点てるその和尚の姿は凛々しく、そして厳かであった。
 「生憎凍えた身を暖める酒はこの寺には御座いませぬ……拙僧の点てた茶でご勘弁を。」
 堂上は出された茶を残すことなく飲み干し、和尚に言葉を返した。
 「いやいや、真に忝い。この持て成しだけでも拙者の心身にまで暖かさが沁みます。」
 若干熱めのお湯で点てられたお茶を一口飲むたびに体の中が暖かくなり、飲み干した時には腹から温まった感があった。
 これも和尚の気遣いから来る芸当であろう。並みの茶人ではこのような気配りはできまい。
 その後間もなく和尚は境内へと戻っていき、堂上は一人茶室で永禮の到着を待った。
 雪は音を吸収する性質を持つ。京の都の外れにあるため元から静かな場所ではあるが、さらに静かなのである。
 暫く静寂の時を味わっていたが、遠くから歩いてくる微かな二人の足音が入ってきた。
 その足音は一歩ごとに大きくなっていき、こちらに近付いてきていることがわかる。
 そして離れの扉が開けられた時、その人物は現れた。坂本永禮である。
 「遅れて申し訳ござらぬ。色々と片付けなければらならないことがありまして。」
 「いえいえ、拙者もつい先程着いたばかりですので気にしておりません。」
 和尚は案内をした後に一礼をして再び境内へと戻っていった。
 これで離れには二人しかいない状況となり、深い話もしやすくなった。
 最初の方こそは他愛もない四方山話やくだらない雑談などをしていたが、永禮の方から突然話を切り出した。
 「……康成様のご様子は?」
 「近頃は綾円殿と頻繁に話し込んでいるご様子です。表向きこそ平穏な様子を見せておいでですが、裏では綾円を使って何かを企んでいるようです。」
 「嶋殿は?」
 「最近では政務に忙殺されています。雑務から領地から送られる年貢米の管理、大阪城の警護まで全てを取り仕切っておりますので。」
 永禮としてはあまり芳しくない状況であった。
 敵将・石田康成の片腕である嶋のさらに片腕で堂上からの密告によって相手方の状況を把握しているのだが、動きのわからない綾円が最近は頻繁に接触しているため動きが読めないのである。
 その上肝心の嶋も政務に追われているために必要な情報を掴みにくい。重い雰囲気が辺りを包み、静寂さが事態の深刻さを伺わせる。
 「……ところで、話が変わりまして私事でなんなのですが。」
 手詰まりな雰囲気を打開すべく堂上が重い口を開いた。
 「私の父が大阪にて剣道道場を開いております。もし大阪に入ることがありましたら是非ご利用ください。」
 永禮は膝を叩いて喜んだ。
 いずれ大阪に攻め込むには入念な下調べが必要であり、そのための拠点が必要である。
 さらにそろそろ大阪へ探索に入ろうと計画中であった。この申し入れは正に渡りに船だった。
 「それはありがたい。今度大阪に参った際には堂上殿の父君の元でお世話になります。」
 そして幾つかの情報交換をした後に、二人は足早に寺から出て行った。
 長居をした場合何があるかわからない上に天候も悪い。雪が強くなる前に帰った方が得策であると考えられる。
 堂上はそのまま大阪の石田屋敷へ、そして永禮は京の方向ではなく何故か別の道を歩いていった。


 向かった先は嵐山であった。目的は刀鍛冶師・五右衛門に預けていた刀を引き取りに行くのであった。
 ここ数ヶ月何かと忙しかったために嵐山に出向く時間もなく、刀を受け取りに行く暇がなかった。ようやく時間を見つけて嵐山へと出向くことができた訳だが、生憎天気は味方してくれなかった。
 代用品として使っている『なまくら』も確かに使い勝手も良くて実に良い刀なのだが、やはり使い込んできた『雨露』には劣る。それに思い入れもある。
 返却してもらってすぐにお払い箱にするとまではいかないが、いずれは別れのときが訪れる。
 刀三本を腰に帯びているのも違和感がある。口惜しいが、どれか1本を手放さなくてはいけなかった。険しい山道を一人登りながら、永禮は色々と考えていた。
 途中休憩を挟みながら歩き続け、ぬかるんだ道に悪戦苦闘してどうにか嵐山にある五右衛門の家に着くことができた。
 到着した時には夕闇が差し迫る時刻であったが、雪は止んで空を包んでいた雲は徐々に東へと押し出されていった。
 雲の流れは非常に速く、地を駆ける風もまたせわしなく吹きぬけている。
 もしかすると嵐が来るのかも知れない。永禮は嫌な予感を感じつつも五郎左右衛門の家の前に立った。
 「五右衛門殿、永禮でござる。」
 何回か家の中に声をかけるも返事はない。
 心配になった永禮は失礼ながらも無断で暖簾をくぐって家の中へ足を踏み入れようとすると、突然後ろから声を掛けられた。
 「そこの翁ならいねぇよ。」
 振り返ってみるとそこには一人の男が立っていた。
 格好はこの寒い晩秋にも関わらず薄い衣一枚で、汚れや破れている箇所もかなりある。それに下駄はおろか草鞋も履いていない。
 恐らく近くに住む貧民の集落の住人なのであろう。
 「翁ならここからもっと奥に行った場所で篭っているよ。この寒いのに体が持つのか心配だけど。……何か用か?」
 永禮は自分が五郎左右衛門に刀を預けていてそれを受け取りに来たことを男に伝えると意外な反応を見せた。
 男はちょっと待ってろと言い残してその場から離れると、刀を二本持って戻ってきたのだ。
 「翁から預かっていた刀だ。『ワシがおらぬ間にお侍さんが来たらこの刀二振りを渡してくれ』と言伝されていたのをすっかり忘れていたぜ。」
 その刀とは勿論“雨露”と“紫電”である。
 再び自分の元に戻ってきた雨露を鞘から抜いてみると、以前とは見違える程の輝きを見せていた。
 今その腰に帯びている“なまくら”も最近になってようやく馴染んできた感覚があるが、やはり長年使い続けてきた雨露の方が幾分かはしっくりくる。
 一方紫電の方も鞘から出してみると、こちらも以前より紫色が増して威圧感すら漂わせる勘がある。
 永禮は手持ちの中から幾ばくかの銭を男に渡して、嵐山のさらに奥へ進むことにした。再び歩き始めた頃には陽もすっかり沈んでしまい、辺りは闇に包まれていた。
 目的は五右衛門の安否の確認と、もう一つあった。天狗との再戦である。


 (そういえば天狗との約束もあったな……)
 くしくも今日は月が満ちる夜であった。雲で隠れているが、暦の上では確かにそうである。
 風は上空を速く駆けていき、分厚く重なっている雲を押し流していく。そのため隠れていた真ん丸のお月様が徐々にその姿を現してきた。
 満月が地上を照らし出せば灯りを必要としないくらい明るくなる。灯りを持ち合わせていなかった永禮にとっては唯一の救いと言っても良い。
 地中からひょっこり顔を出す木の根を視覚で把握できるのであれば夜道は恐れるに足りない。
 だが心配しなければならないこともある。寒さであった。
 吐息は白く濁り、空気に接している肌は凍っているように冷たい。寒さ対策は講じているが、体の状態は良いとは到底言えない。
 しかし一度剣を交えた後には自分の身を案じる暇など与えてくれないであろうし、全神経を集中して当たらなければならない。
 歩いている内に永禮の心の中に天狗との再戦を心待ちにする気持ちが芽生えていた。
 武士(もののふ)の血は争えないな、と普段非戦主義である自分との矛盾に内心驚きつつもあり、おかしくもあった。
 「久方振りだな。若人や。」
 木がしなる程に揺れ、風は轟々と吹き荒ぶ。静寂の空間に戦慄が走る。
 目線を上げて木の枝にまで向くと、そこには異形の姿をした人がはっきりといたのである。
 異人の如く長い鼻にすらりと伸びる白い髭―――をした面は間違いなく天狗である。前と同じく山伏の服装で、高下駄を履いている。
 だが前と違うのは以前のように錫杖を持っていたのではなく、既に太刀を持っていることである。
 太刀を帯びている、これ即ち本気であることの証明。自らの生命を賭しての戦い……
 「悪いが今宵は本気で行かせてもらう。わしも愛刀も気持ちが昂っておるからな。」
 鞘から抜かれたその太刀は実に綺麗であった。
 左右から真っ直ぐ伸びる切先が一つに交わった場所には月の光が集約され、刀身は銀色に輝いている。
 遠くから見ていてもなかなか良い太刀である。
 対して永禮も自らの腰に帯びている雨露となまくらを抜きつつも、一つ小さな溜息をついた。
 「五右衛門殿を捜して山に入ったが、まさか天狗に先に会うとは……これも何かの縁なのか。」
 左手には雨露、右手にはなまくらを握り、静かに構える。
 これが永禮の真の構えである。永禮の流派“風龍真技”には一刀伝と二刀伝があり、永禮は難技とされる二刀伝の使い手であった。
 二本の刀を巧みに操ることで攻撃力も倍増するが、使い手の技量が足りない場合には二刀によって生まれる隙に飲み込まれてしまう。皆伝の域まで到達するのは非常に困難ではあるが、習得すれば一刀伝・二刀伝の使い手になれる。
 互いに刀を構えた以上、それ以上言葉は必要なかった。辺りには水を打ったような静けさに包まれ、時々木々の間を駆け抜ける風の影響で葉がこすれ合う音しか聞こえない。
 木の上にいる天狗と、地上にいる永禮の間は決して近くない。対極線にある二人ではあったが、膠着状態とは到底言い難かった。
 どこかの木の枝にあった実が風によって地面に落ちた瞬間、天狗はそれまでいた枝から突然姿を消した。
 その直後に永禮の右手に持っていた刀が天狗の攻撃を辛うじて防ぎ、次の瞬間には別の枝に天狗の姿があった。
 常人の目には留まらない速さで物事は進行していた。そして永禮ですら天狗の姿を目で捉えることができなかった。
 正しく疾風が吹きぬけるかの如き攻撃であった。その攻撃は『疾さ』を極めていると言っても過言ではない。
 その風が幾度となく永禮を襲った。緩急や攻撃の角度を変幻自在に変えながら木々の間を駆け抜け、その攻撃にも永禮は紙一重の場所で交わしていた。
 そして天狗が再び枝の上に止まった時にも永禮の体には傷一つついていなかった。
 「我が太刀を止めるとは……血が騒ぐような思いになるのも久々だな。」
 天狗は興奮した口ぶりで呟いている。
 その攻撃は既に妖術の域にまで達していた。空を飛んだり、幹を走ったり、バネのように跳びまわるなど人間には真似できない技を次々と繰り出している。
 それでも永禮は喰らい付いてくる。ここまで圧倒的な力を誇っている者としては楽しい以外の何物でもなかった。
 だが対照的に当の本人の表情は沈んだままであった。
 永禮は突然刀を鞘にしまうと、天狗に対して語りかけた。
 「天狗殿、今のままでは正直埒が明かない故に居合いにて決着をつけ申したい。」
 既に気持ちの整理はついていた。自分の中にある全てを凝縮して天狗と交錯する一瞬に賭けるつもりであった。
 その形が今の構えである。両足はしっかりと地面を踏みしめ、腰はどっしり据わっている。そして眼から、いや体全身から放たれている闘気はその姿を見なくても気圧されるように感じられた。
 天狗はひらりと大地に舞い降りると、改めて感嘆の呟きを漏らした。
 「構えだけでなく良い顔だ……わしも本気でかからねばなるまい。」
 突然風が強くなってきた。地表を覆う木の葉が空に巻き上げられ、木々の枝は風に負けじと曲線を描いてしなっている。
 何故か天狗は永禮のいる場所から一歩、二歩とどんどん遠ざかっていく。敵に背を向けて歩いているのだが、永禮もまた背後から斬りつける様なことは全く考えていないようであった。
 そして天狗が再び永禮の姿を見た時には歩数にしておよそ三十歩ほど離れていた。左足を前にして体を開き気味に、太刀は右ひざの辺りで剣先をやや下に向けて後ろに構えている。
 「ワシなりの形で行かせてもらう。だが容赦はしないぞ。」
 天狗の声はすでに永禮の耳に入っていなかった。遠くて聞こえないこともあるが、全神経を天狗一点に絞っているため聞こえていない。
 先程まで木々を揺らすほど強かった風も徐々に弱まってきた。上空を流れる雲も遠くの空へ流れていったため、月明りが地上にまで降り注いだ。
 照らし出された物体は黒色のベールを剥がされて、青白く映し出されていた。月の光が及ばない場所は依然として黒一色ではあるが、その割合は圧倒的に少ない。
 一直線上に永禮と天狗が対峙していた。互いに呼吸を整え、精神を集中させ、軽く瞼を閉じ、来るべき時を待っている。
 来るべき時、それは天狗が詠唱している呪文のような経を読み終えた時。そして、風が止むにつれて天狗の経が終わりに近付いているのがわかった。
 終わりに近付けば近付くほど永禮の心拍数は上がり、呼吸は乱れ、体全体に緊張が走る感覚になっていった。
 これが人間を超えた存在の気なのだろうか。知らず知らずの内に威圧されているように思えた。
 永禮は静かに息を吸い込み、細く長く吐き出した。荒れ立つ心の波を静め、乱れた心を再び一つに凝縮させる。
 そして天狗の唱えている経が徐々に遅くなり、言葉の一音一音がはっきりと耳の奥にまで響くようになった。
 目前に迫った決着の時にも、永禮は自分でも意外だと思える程冷静になれていた。
   ・
   ・
   ・
 凛と張り詰めた空気。静まり返る大地。全てが疾風の轟音と共に全ては破れた。

 天狗はバネのように鍛え上げられた右足で爆発的な初速で駆け出し、二の足は地面に触れることなく空気を蹴って勢い良く突っ込んでいく。
 一瞬の内に相手の懐にまで飛び込んでいくため、相手は敵の動きすら眼で捉えることが出来ない。
 永禮は研ぎ澄まされた身体能力で視覚で天狗の動きを捉えることが出来た。捉えられたと言っても、コマ送りのようにしか見えなかったのだが。
 が、反応するのにはそれだけでも充分であった。間合いの中に入る直前には体が瞬時に動いて剣を鞘から抜こうとした。
 しかし天狗の動きは永禮の間合いに入った途端に変わった。
 それまで一直線に突っ込んできた天狗は、永禮の間合いに入ると踏み足をつけて上空へと向けて跳んだのであった。
 その際に手にしていた太刀を振り上げるような形で永禮に斬り上げた。永禮から見ればその攻撃は地面から浮き上がるような感覚で、これまで経験したことのない剣閃だった。
 自らの刀を抜く前に天狗の太刀は、下から上へと永禮の体を縦断していった。そして同時に永禮の体は宙へと浮き上がった。
 天狗本来が持っている力に超高速に加速した速さにかかる力が加えた破壊力抜群の攻撃、さらに天狗自身が巻き起こした疾風が永禮の体を浮き上がらせたのである。
 勝敗は正に一瞬で決したのだった。

 無理矢理空中に持ち上げられた永禮は、成すすべなく地面に叩きつけられた。
 その体は元いた場所から約三十歩ほどの距離まで飛ばされていた。偶然にも二人が離れていた距離と同じである。
 幸い一面に広がる落ち葉のお陰でダメージは軽減できたのだが、縦に縦断する太刀の傷は相当深かった。
 意識こそあるものの息は荒く、傷口からは大量の血液が外へ流れ出ている。このままでは命を失う危険もある。
 大の字になっている永禮を天狗は木の上から見下ろすように見ていた。
 「紙一重の差だったな。もしも刹那の差でお主が早かったならばワシは今ここにはいなかったであろう。」
 天狗の攻撃は正に“風”のようであった。
 だが疾いだけでは“風”と例えるに相応しくない。圧倒的な疾さと釣り合う程度の破壊力もあってこそ、初めて“風”と呼ばれるに相応しいのである。
 その“風”を見切っただけでも天狗としては敬意を表するに値した。人間という価値の対象の意味で。
 人間と妖怪の間には埋めがたい壁があり、それを超えるのは到底不可能であった。
 永禮はその大きな壁に果敢にも立ち向かい、そして破れたのだ。
 天を仰いでいる永禮の口が微かに動いているのを天狗が見つけた。体力がかなり消耗していて音を聞き取りづらいが、口の動きで何を言っているのかはわかった。
 「……相打ち、か。」
 次の瞬間、天狗の面の下半分が突然割れて地面へと落ちていったのだ。
 そのため天狗の面が大きくずれ、面の下の顔が露出してしまった。慌てて残った面が落ちないように押さえたが、既に遅かった。
 永禮は顔を面で覆われていた人物がわかったが、それ以降何も語らず静かに瞳を閉じた。
 それに対して天狗は一体何があったのか最初はわからなかったが、永禮の右手を見ればすぐに判明した。
 横たわっている永禮の右手には刀が握られていた。斬られた感覚がなくても刀を抜いた証拠が確かにあった。
 剣を抜いたのであれば剣閃が見えたはず、しかし見えなかった。だが斬られた事実がある。即ち、自らの目で捉えられない速さで刀を振り抜いたことになる。
 決して見下している訳ではなかったが、確かに勝てる確信はあった。自らが人ではなく、人を超えた存在だからである。
 そして結果も同様である。こちらは面一つが割られただけ、相手は生死を彷徨う程の重症。
 しかし天狗の気高い誇りは瓦解の如く崩されてしまった。それも人間風情に、である。
 永禮は相打ちだと思っているであろうが、天狗にとっては完全なる敗北であった。この結果にただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 ヒュウと風が通り抜ける。身を凍らせるかの如く冷たい風。
 その風によって天狗の面はするりと顔を滑り落ち、その隠された表情が露になった。
 面の下に隠されていた人物―――それは京都の嵐山奥深くに住む刀鍛冶師、八代五右衛門!




     第十一話へ   投稿小説一覧に戻る