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襲撃を受けた際に負った永禮の傷は浅くはなかった。数日経ても未だに血が滲んで晒しを赤色に染めている。
外出も極力控えて傷を癒やすのに集中しているのだが如何せんやらなければならないことも多い。
それに畿内やその周辺を飛び回っている頑真などは殆ど寺子屋に滞在しておらず、ほとんど外泊することが多い。
二人の報告を受けて上様も京や大坂の動向、それに加えて西日本の動きに目を光らせていたりする。
何もしていないように思われるかもしれないが彼もまた忙しい日々を送っているのである。
そんなある日、頑真が久しぶりに寺子屋へ戻ってきた。
「頑真さん、お久しゅう。」
「また暫くの間厄介になります。」
お登勢の出迎えに丁重に答える。埃や泥で汚れた足を洗って手土産を渡すと早速二階の部屋に向かった。
階段を上がって襖を開けるとそこには窓辺に片膝を立てて座っていた永禮の姿が眼にあった。
着物の背中には一筋の切り傷、そして開けている胸からは晒しが見え隠れしている。
「……怪我でもしたのか?」
「あぁ。用心はしていたのだがこの有様だ。」
「貴殿の背中に傷を負わせるとなれば相当な強者ですな。これは容易に動けませぬぞ。」
永禮はそれっきり黙り込んでしまった。
あの時殺された忍びから有力な情報を掴んでいたとしたら相手も易々と襲ってくることは出来なくなっただろうが、先に口封じされたために情報が全くない。
そして怪我負いの身の状態でいつ襲われるか知れない恐怖。傷は塞がっておらず、激しい動きをすると血が溢れて傷が痛み出す。
今回は命こそあったのだが次あるかはわからない。相手もまたこの絶好の機会を逃すはずがない。
そしてまた永禮だけが狙われるはずはない。必ずや頑真も標的にされるであろう。
「和尚の方は襲われているのか?護身用の大刀を持っていないようだが。」
「近頃はめっきり襲われなくなったが先頃まではひっきりなしに押し掛けてきましたよ。追い剥ぎ連中のような輩が特に多いですな。」
話を聞くところによると近江・紀伊・播磨の方面に赴くと必ず数回ほど数十人単位の集団に襲われていたという。
兎にも角にも質より量で先日の北陸街道で遭遇した刺客よりも実力的には弱い。
恐らく普段は山賊行為を生業としていて石田方から依頼されて仕事をしているのであろう。
だがそんな連中に易々と命を取られる程頑真は弱くはない。得意の怪力で数十人相手に大立ち回りを演じて見事撃退できる。
頑真の実力は並の用心棒よりずっと腕が立つ。それにいざとなったらお龍がいる。だから不要な用心棒もいらないから迅速な行動ができるのだ。
もし頑真が迅速に動けなかった場合には畿内全土に石田方に味方する反乱分子が出てきたかも知れない。そうなった場合にはさらなる火種が芽生えてしい、幕府の安寧が揺るがされる。
「……上様は何処におわす?」
「一刻程前に出掛けられた。行き先は聞いていないが、あのお方なら心配ないであろう。」
「そうでございますか。では久しぶりに我々二人で出歩きますか。」
そう言われてみると京都に入って以来ずっと行動を共にしていない。互いに顔を会わせることはあっても。
一人で出歩くのも不用心なので数日外に出るのを遠慮していたのだが、頑真がいるので突然襲われても対処できる。
それに頑真だけで手に負えられなくても自分の負担は格段に下がる。背中合わせの状態なら先日のように背後を取られることはなくなる。
「そうですな。たまには散策でもしてみますか。」
ゆっくり立ち上がると時々ふらつきながらもしっかりとした足取りで階段を下りて玄関へと向かった。

外に出てみると道のあちこちに赤や黄色に染められた葉が落ちていた。
嵐山などに行けばそれこそ絵画のように美しい紅葉を目の当たりにできたであろうが、養生中なためにそんな体力はない。
それに今の永禮にはやらなければならないことも山積している。そんな暇があったら目的遂行のために尽力するであろう。
「季節をこの肌で感じるのはやはり良いな。」
「左様。やはり外に出て風を受けた方がよろしいかと。」
肌に触れる風がとても冷たい。秋もそろそろ終わりなのかと予感させている。
見上げると秋晴れで真っ青になった空を止まることなく雲は何処かへ流れていく。
街もすっかり秋の装いになっているような気がした。大路を走る子供達も無邪気にとんぼを追いかけているし、炭を扱う店の前では炭俵が山積みにされて冬の支度を整えている。
実に暢気なものである。大坂で天下を覆すような計画が進行しているのも全く知らずに。
しかしこれが良いのかも知れない。民は争いに巻き込まれる心配もなく毎日を過ごすことができる日々を誰が疎んじるものか。
そして暫く歩いていると正午を知らせる鐘が鳴った。
「む。早そんな時間なのか。」
「時が過ぎるのは早いですなぁ。少し腹ごしらえでもしませぬか?」
特に食欲はないのだが、坊主なくせに大食漢な頑真にとっては既に空腹だったみたいだ。
いや、坊主が全て食が細いという訳ではないことくらいはわかっている。だが見境も遠慮もなく食べているのだから疑いたくなるのだ。
体が大きい分、容量もそれなりに大きいのであろう。
しかし空腹の頑真をこのまま野放しにしておくと最悪の場合暴走しかねない。
「そうですな。どこか店に入って何か頂きましょうか。」
頑真は子供のような笑顔を見せて急ぎ足で歩き出した。大股で歩いているために追いつくのが精一杯だ。
恐らく永禮の体力が全快していないことを完全に忘れてしまっているのであろう。
と、その時だった。
「なんだと!もう一回言ってみろ!」
永禮や頑真など、近くの空気がそれによって一気に静まった。
罵声と共に何かが割れた音が耳に入ってきた。喧嘩か何かの類であろうと思われる。
それを聞きつけた野次馬連中がざわざわと細い路地の方がざわつきはじめた。何があったのか気になって人が集まり始めたのだ。
黙って聞き逃せないのはこの二人もそうだった。
「……また何かありましたね。」
まるで我々が疫病神のように思えてきた、と永禮は口にしそうになったがぐっと喉奥に飲み込んだ。
「行きますか。放っておけないですし。」
「えぇ。参りますか。」
足首を変えて路地裏の方へと走っていった。その背中を追うように新たな風が吹き込んでいった。

人が集まっていたのは一件の居酒屋だった。
店の前に群がっている人集りを割っていくと、そこには三人の浪人と一人の歌舞伎者が睨み合っていた。
歌舞伎者の格好は非常に派手であった。上は見事に染め上げられた紅で背中には墨字で“我天不畏”の文字。下は何物も吸い込んでしまいそうな漆黒。
そして侍らしく刀を帯びているのだが、刀身がやけに細く長い上に柄には丸みを帯びた鉢金が取り付けられている。
実に変な刀だな、と見るしかなかった。あれでは草を薙ぐこともできないのではないかとも思った。
風貌は爽やかな顔で銀髪、そして燃えるように赤い瞳。
そんな姿格好に何故かどことなく記憶の片隅に引っかかる所があった。
(はて。どこかで見たことがある顔だな……。)
だが思い出せない。昔に会ったことがあるやらないやら曖昧なのだ。
「やぃやぃ、我等に対してへの無礼を咎めるのが何が悪い!」
「悪いのはお前等だろ。その底を知れぬ胃袋に食べ物を落とし、酒を浴びるほど飲んでおいて勘定を払わないなど野獣の行為としか思えないだろう。」
物怖じすることなく棘(とげ)のある言葉を返す。
推測するに浪人風の侍衆が飲食をしたにも関わらず勘定を払わず出て行こうとしていたらしい。
店主が引きとめようとして浪人達が逆行して間に入って歌舞伎者が仲立ちをして、それからこのような状況になったようだ。
「おのれ……我等にさらなる侮辱を!許せぬ!」
「貴様、表に出ろ!その首切り落としてやる!」
只ならぬ剣幕に店の主は右往左往しているのだが当の本人は冷静な顔色だった。まるで他人事のように。
申し訳なさそうに店を出ると三人が待ち構えていた。
店を出た三人は興奮冷めやらず、帯びている刀を抜き放つ。ギラリと光る刀を見せられ、民衆は思わずどよめく。
だが刀を抜かれた今でも平然と三人を傍観している。そして彼の帯びている歪(いびつ)な形をした刀をいまだに抜こうとはしない。
(一体どうするのでしょうかね、永禮殿。)
(我らが出る幕はないと思いますよ。十中八九は歌舞伎者の勝ちと踏みました。)
そうこう話している間に待ちきれない浪人の一人が無防備な彼を仕留めるべく大きく振りかぶった。
その直後、辺りに暴風とも言えるような強い風が吹き抜けた。
振り下ろす刹那に刀を抜き放つと横薙ぎで剣を払って喉元にその先端を突きつけた。
あまりにも目にも止まらない速さであった。速さだけではなく無駄な動きが一切なく、一点に絞った攻撃も光った。
「如何かな。貴様らの命と勘定、果たして天秤にかけると重いのはどちらかな?」
明らかに格の違いが見えていた。恐らく三人まとめて相手にしても勝てないであろう。
この男の芝居を見事に演出していた自分達が惨めになってきた。
浪人達は財布を地面に叩き付けるとすごすとと退散していった。このまま長居をすれば恥の上塗りになりかねないからだ。
そして観客からは一斉に拍手喝采が沸き起こった。突如現れた英雄を祝福するように。
恐らく明日の瓦版では彼のことが書かれているであろう。どの時代も悪を挫き義を正す者が好まれるから記事には困らない。
最も、その中で鋭い視線を送っている二人の気配にこの歌舞伎者は気付かないはずがなかった。
(ううむ、人は見た目によりませんな。)
(只者ではないと見ていましたが、ここまで凄いとは思いませんでした。背中に書いてある文字も見せ物ではないようですな。)
背中に記されている“我天不畏”の文字―――つまり『我天を畏れず』という意味である。天、つまり神を畏れていないというのである。
これが実力のない者が身につけているとただ歌舞いているとしか見られないのだが、実力が備わっているとその効果は倍増するのである。
さらに目立つ風貌なので噂にもなりやすい。それ故に彼の素性は武者修行をしている強者なのかも知れない。
そうこうしている内に人混みの中から永禮と頑真は抜け出して、再び大通りに戻っていた。




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