この雪を見る全ての人に幸福を










12月31日と1月1日を境に世界とは大きく変わるものだ。

その年の持つ意味が変わるというのだろうか。

やり残した事や未練に思っていることを一気に片付けてしまうことが年末なら、前の年に終わりを告げ新しい時代を見つめ直すことが年始なのだろう。

つまり、年の下一桁が一つ上がるだけで重みが全く違うのだ。

日付と、年と、その2つに作用される人間の心の動きは一定である。

必ず希望のようなものを持って自身の変革を望む。

それは年始に赴く初詣で明らかだ。

「希望―――か」

年始に抱く希望など俺――――【神谷 幸村】は持ち合わせてなどいない。

いや、正確にはそう思っていたのだ。

「(俺は―――【彼女】を幸せにしたい)」

いつからだろう、そう思うようになっていた。

これを希望というならば、俺は賽銭に思いを込めて箱に投げ込んでやろう。

俺は神には頼らないが、ね。





12月31日、大晦日。

高校三年の冬。

就職試験は受けず、大学受験に向けて勉強する俺にも、たまには休息は必要だ。

それは多分【彼女】――――【キミ】もそうなのだと思う。

街がバカ騒ぎしてる日ぐらいハメを外してもいいだろう?

前の年に憂さ晴らしをするが如く暴れ、新しい年を迎えるのもいい。

・・・そんなことはしないが。

「さて――――」

時計を見る、午後9時12分。

【彼女】との待ち合わせ時刻まであと2時間と17分・・・35秒。

今から駅に向かい電車に乗れば待ち合わせ場所には余裕で間に合う。

俺は一人になった心持寂しげな部屋を見渡し、電源の入っていない電気コタツに足を入れる。

案の定コタツの中は冷たかったが、俺は電源を入れる事無く、座った。

俺がこのアパート・・・【椿山荘】に引っ越してきて早1年、今年は色々な事があった。

血を流して闘い、血を流しながらも笑い、最後に自身の幸福を掴んだ。

今年の初詣行けばよかった・・・もっと穏便な一年だったかもしれない。

「だが、それも過ぎたこと」

今日は12月31日なんだ、悔やんでいても仕方がない。

「(悔やんでいるのかどうかは別にして、だが)」

自分の言葉に苦笑して首を真横に傾ける。

この壁の向こうでは、冠城家の皆さんが師走の名の通りバタバタと翌年の準備に走り・・・。

今度は逆の方へ首を向ける。

この壁の向こうでは、φ(ファイ)さんがおしるこでも作っているのだろう、甘い匂いが微かに漂ってきている。

そして、天井を見上げる。

この天井の上で、アヤメちゃんは大晦日恒例の格闘技番組に奮起していることだろう・・・もう、落ちてくるなよ?

そしてもう1人の居候、ゲルニカという少女は近所の年越しパーティに招かれている、今年一番成長したのは彼女だ。

・・・色々あっても、”今”は確かに存在し、それぞれの年末は過ぎていく。

それは、とても自然で、当たり前なこと。

冷たいコタツの中で、手を擦り合わせる。

俺は、たまには風の勢いに流されるのもいいと思った、水の流れに身を任せるのもいいと思った。

人々の”当たり前”に、溶け込んでやろうと思った。

これからは楽しもう、それが人間だ。





椿山荘から一歩踏み出すとそこは明るくも閑静な住宅地。

温かい光を漏らす家々、逆に人気の無い家々。

それぞれが思い思いの大晦日を過ごしているのだろう。

静かな・・・静かだが心を楽しくさせる夜道を歩く。

一歩一歩、確かに【彼女】に近付いていくのを感じる。

そう感じられる自分を感じる。

呼吸するたびに吐かれる白い息で遊びながら、小さな公園を抜けて駅へと向かう。

俺の足取りは【彼女】を思う分だけ、軽い。





少し混雑している電車の中、俺は吊革を握り締めて携帯のスケジュール表を確認している。

俺がこの日本の大都会東京にやって来てそろそろ一年と半年ぐらいになるのだが、居住地である千代田区から他の区へ行ったことはない。

苦学生という形で上京して、金銭面の余裕はあったのだが・・・まぁ、色々あって放課後に友と街へ繰り出すことなどなかった。

そして今、もう少し遊んでおけばよかったと受験生が悔やむという不自然な状況下に身を置きながら携帯画面に並べられた文字を見て、唸る。

「明治神宮ってどこじゃい」

仇の名を呼ぶようなドスの効いた声に、俺の前の座席に座っている同年代ぐらいの女の子が驚嘆の表情でコチラを見ている。

そんなに驚かれても、俺は土地勘の無さに驚きですから。

「(・・・いや)」

明治神宮がどういう場所かは日本人なんだから知ってますよ?

神社ですよ、神社。

”うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ”という和歌を詠んだ明治天皇が代々木に大正9年(1920年)11月1日に官幣大社として創建したものが今のそれである。

昭和20年(1945年)戦争中の空爆によって社殿のほとんどが焼失したが、昭和33年に再建され、今では参拝者数が日本一を誇る大御所となっている。

「(しかし)」

東京渋谷区にあるというだけしか、その場所を示す手がかりを持ち得ないわけで。

まぁコンビニで地図を買うべきなんだろうけど、何故東京に住む人間が東京の地図を買わなければならんのだ!と憤怒・・・してないけど、とにかく買ってはならない気がするのですよ。

気がするというだけで楽に走っても良し、だが愛の力(ラブパワー)とか言って巡り会うのも一興ではないだろうか。

いや、一興とか言ってられる余裕があるのか俺。

「ない、か」

「え?」

先程の女の子が「え、何? この人何言っちゃってんの?」みたいな目で見ている。

どこで身につけたのか自分でも分からないが、その場凌ぎの営業スマイルを振り撒き、俺は再び携帯画面の漢字四文字を睨む。

さて、いい加減覚悟を決めて地図を買おう。

決めなくてもいい覚悟のために俺は何を躊躇っていたのだ。

ハハン、コンビニの罠だな?

地理に疎い参拝者を蹂躙するが如く困惑させて地図を購入させ、外の寒さのつり橋効果を利用した肉まん&おでんのダブルスクリューアッパー・・・。

KO必至のDouble(ドゥアブル)パンチではないか!?

「(恐ろしい・・・落とし穴の底に無数のゴキ○リを敷き詰めるが如く恐ろしい・・・)」

俺は言いたいね、食事中の皆様には大変ご迷惑をかけました、と。

しかし、俺は謝らない。

何故なら悪いのはコンビニ、そう、悪の巣窟コンビニなのだよ!

さぁ!立ち上がれ国民――――



「あの・・・」



そこで俺の思考は一度停止した。

その後国民達がどうなったのかはご想像にお任せするとして、俺は声の主、目の前の少女に視線を向けた。

「あの・・・明治神宮へ行きたいんですか?」

「はい――――彼女が待ってるんですけど・・・あの辺りの地理に疎いもので」

「じゃあ、私も行くので・・・ご一緒しませんか?」

「いいんですか?」

すると少女はニッコリと微笑み、大きく頷いた。

「それじゃあ、お願いします」

頭を下げる。

はぁ、一先ず一安心。

・・・。

しかし何故だろう? この少女の笑顔に心の奥が痛んだのは・・・。

とても懐かしい、だが、二度と味わいたくない世界との繋がり。





少女の名は【衣良のどか】、なんとT大学2回生。

それでも少女と言ってしまうのは彼女の幼さ故だ。

元々の背の低さもあるが、パッチリ開いた大きな瞳に染めていない黒髪、純真という言葉が付きまとう容貌だと思う。

ようするに可愛いのだ。

その少女・・・・のどかさん(と呼んでもいいかと聞いた後、快く?了承してくれた。ちなみに俺は名前で呼ばれている)は白い息を吐きながら原宿駅を背に西に折れ、信号を右折するとコチラ明治神宮的な標識を発見。

どうやら乗客の大半がここで降りたようで、よく見れば着物姿の女性も少なくない。

東京という場所では珍しくないのかもしれないが、学校と椿山荘の間でしか生活しない俺にとって、この人の多さは物珍しいというより未曾有だ。

後々TVで知ったことだが、その日の明治神宮には80万近い人々が押し寄せていたという。

視界全てが人で埋まっている、その言葉の通りの状況だ。

そしてその人々は決まって同じ方角へ歩を進めている。

「俺一人が初詣に行くわけじゃないんだし、流れに着いていけば勝手に着いたんですよね・・・」

「あ、気付いちゃいました? でも・・・1人で行くより2人の方が楽しいです♪」

この寒空の下、太陽のような笑顔が心地よい。

まぁ、これは精神的なもので体感では皮膚が、そして感覚が寒い寒いと訴えているわけで。

標識に沿って神宮橋を渡り、南参道を進む。

大鳥居を潜ると、人波は滞る事無く続き・・・俺とのどかさんはいつの間にか手を繋ぎあっていた。

多分、「はぐれないように」と、あくまでお互いの利害関係の一致を目的とした交渉の意味として触れ合っている。

それは共に目的地へと向かう上で必要なことだ。

しかし、そもそも今この状況でそんな交渉など交わされるのだろうか。

「(否)」

俺達は決してそんな関係ではない。

このままはぐれたとしても何の問題も無い。

最早この場所に立った時点で互いの利害は成就され、後は各々の大晦日を過ごすだけである。

「(ハズなのに)」

俺はのどかさんから離れられないでいる。





「私、去年も来たんだけど、こんなに人多くなかったよ?」

「皆ヒマなんですかね」

「ムムム!それは違うぞ、幸村クン! 辺りを見回してみたまえ♪」

俺は言われたとおりに180度、首を伸ばして、文字通り見回してみた。

「さてキミが見た視界の中、カップルはHow many?」

「36組」

「・・・・・・・・ま、まぁいいや、わかんないけど、正解」

コホンと小さく喉を鳴らし、のどかさんは再び口を開く。

「彼らは互いに新年を・・・2人で新しい年を迎えようとこぞって赴いているわけだよ。キミもその中の一組でしょう? 

忙しくても、互いを思う気持ちがあるからみんなココにいる。キミが今見回しただけでも72の愛がある・・・」

口調は明るくとも、彼女の心底が垣間見れた気がした。

「どうしたんですか?」

「ネェ」

そこは淡い黒の誘惑。

「私たち、74個目の愛になれないかな?」

辺りの喧騒の中、紡がれた言葉は掻き消されることのない鋼の脈動。







「それはどういう意味ですか?」

「どういうもこういうも――――」

彼女の一言一言が俺の胸を抉る。

握る手に力が込められ、俺は立ち止まる。

つられてのどかさんも止まる、いや、それは立ち尽くすと言うべきなのか。

目に見えて分かるほどの後悔と若干の期待。

人波は俺達だけを避けて過ぎる。

「――――冗談だよ」

「・・・・・・」

「何? 本気にしちゃった? 彼女がいる男になんて、私興味ないし♪」

「・・・・・・」

「そ、そんな暗い顔しないでよ。キミには彼女いるじゃないか。 ホラ、私のことなんて放ってさっさと行きなって♪」

震える手は振り離され、涙を堪えながらも振り撒かれる笑顔に、また心の奥が鋭く痛む。

「のどかさんは―――――孤独ではありません」

「!!」

「さよなら、ありがとう」

そして俺は彼女の前から姿を消す。

立ち尽くす彼女の瞳には・・・二度と味わないと誓う世界との断絶の思いがあった。

のどかさんは――俺に似ていたんだ。









いつの間にか、闇夜を雪が舞っていた。

風に流されることなく、シトシトと降り落ちる雪は照明に照らされ黄金色に輝いていた。

その一つ一つが夜という存在を際立たせ、白と黄金はさながら宝石の様。

冬を彩る、絶好のオードブルと言ったところか。

だが、メインディッシュにはまだ届かない。

俺はナイフもフォークも握ってはいないからだ。

御社殿へ到着した時には待ち合わせ時間は残り5分を切っていた。

溢れんばかりの人が1つの賽銭箱に押し寄せ、俺はそれより少し脇に逸れ、鳥居にもたれて周りを見渡す。

「ったく、明治神宮―――っつったって、バカ広いじゃねぇかよ!!」

何で待ち合わせ場所、詳しく書かなかったんだ・・・。

【彼女】の計画性の無さを考えれば頷けることなのだが・・・頷いちゃいけないよな、きっと。

「どうしよ―――――」





〜♪〜〜♪〜♪





突如、ポケットから着メロが流れ出す。

そうだ、携帯があった。

日本人の携帯を電話だと思っていない社会が俺の判断を鈍らせた――――分かった、出ればいいんだろ? ちょっと静かにしてくれや。

「もしもし?」

『さて、私は今どこにいるでしょー?』

「(分かったら苦労しねぇよ・・・)」

『何か言った?』

「い、いいえ・・・・今、どこにいるんだよ?」

辺りを見渡すが、それらしき人影は無い。

視界に入るのは人といよいよ本降りになってきた雪だけだ。

『う〜〜ん、じゃあヒントあげちゃう』

「謹んで頂きましょう」

『素直でヨロシ。すぐ近くにいるよ♪ ってゆーか』





「う〜し〜ろぉ〜♪」





【彼女】の声だ。

「やれやれ」

ゆっくりと振り返る。

そして俺は眼を見張った・・・そこには――――





「幸村さ〜ん♪」





少し離れたところでパタパタと袖を持って手を振る着物姿の【彼女】。

形容するとそれだけなのだが、俺の瞳には違って全く見えた。

着物は光沢が映える綸子柄、色は淡い赤で菊の花と毛鞠が舞っている。

帯びは深紅、帯揚げは同色で蝶々結びにしているようだ。

首に引っ掛けたモコモコの羽衣が全体的に赤という情熱的なムードを緩和させている。

何というか・・・愛らしい。

そしてオードブルは遂にディッシュへと変わる。

幻想的な冬の芸術が【彼女】をより一層際立たせる。

活発的なイメージのショートカットも今はその美しさに拍車をかける存在にしかなりえない。

照明のスポットライトを浴び、【彼女】はいよいよ天使などという生温いものではなく・・・。

そう、信じるつもりなど無かった筈の、神の如し美しさ。

賽銭だけで手に入れる幸せなんて俺は信じない、神は今、ここにいるんだぜ?

「? どうしたの?」

不安な表情で俺を見る【彼女】は俺の手を握って「アッ」と小さく悲鳴を上げる。

その可愛らしい悲鳴が俺を現実に引き戻す。

「いや、なんでも――――」

「手握るより・・キスの方が良かったですか?」

「なっ」

「ニャハハハハ♪」

まったく・・・。

俺はふと、空を見上げた。

この雪、あなたも見ていますか・・・のどかさん?

「――――なぁ」

「ん? なんですか、幸村さん?」

「俺、綿飴が食べたいな」

「・・・・・甘党でしたっけ?」

「そうだよ、激甘党♪」

彼女の手を引いて俺は出店に向かって歩き出す。

「ちょ、ちょっと幸村さん!?」

「付き合って貰うよ、今日は大晦日なんだから♪」

「り、理由になってないですよ!?」











オイ、神。

そこにいるなら俺の願いを叶えてくれよ。

俺は【彼女】を幸せにする、神なんかに頼らねぇ。

だから、さ





この雪を見る全ての人に幸福を――――





【管理人感想】(主観入ってます)


 ガンク様から戴きました、現在絶賛連載中の「Art Hart Stealer」の新春特別読みきりで
御座います。切ない、とにかく切ない。のどかは悔しいでしょうし、きっと幸村君も悔しい
気持ちでしょうね。「のどかさんは―――――孤独ではありません」この台詞は、本当に胸に
抉りこんでくる言葉でしょうし、咄嗟な……切羽詰った心情がグッと伝わってきます。
 幸村君には、「彼女」と呼べる女性がいてその女性を幸せに出来るけれど、のどかはまた別
次元の話。自分の力ではどうしようも出来ないし、ただ自分とを重ねて「孤独じゃない」という
言葉。そして別れ。「彼女」は神様無しでも幸せに出来るから、どうか雪を見ている人に幸福を
与えて欲しいという健気な気持ちが“冬”という季節感を増してくれているとも思いました。

 ……全体の流れも素晴らしいですし、読者を引き込ませてくれる力がこの作品にはあります。

 ただの番外編と思ったら大間違いですよ。もし、本編ではなくこの感想を先に読んでしまった
方がいるとしたら、直ぐに本編へと引き返して欲しいです。あ、でもすでにネタばれ(汗)。




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