僕は毎日同じ生活を送っている。 朝起きて、朝ごはんを食べて、検査して、勉強して、昼ごはんを食べて、リハビリして、夕ごはん食べて、テレビ見て、そして眠る。 毎日同じサイクルを繰り返す。一日経っても、一週間経っても、一ヶ月経っても、一年経っても退屈でしかない。 だから毎日が非常に早く過ぎ去っていく。『光陰矢のごとし』なんてことわざあるけど誰が考えたんだか本当にそうだと思う。 僕みたいななんのメリハリもない毎日を過ごしていたら……誰だってそう思うに違いない。 もしもあなたが突然毎日の生活のリズムが崩されたらどう思う?あるべき毎日が奪われたらどう思うだろうか? 『奪翼』 僕の足は………………動かない。正確には動かせなくなった。 ある日突然、それはなんの予兆もなく足を動かすことができなくなった。 本当に信じられない出来事だった。そのときの記憶は今でも鮮明に思い浮かぶことができる。 普通に道を歩いていると前に足を出すことができなくなった。動かそうと意識してもピクリとも動かせない。 なすすべなく地面に立っているところに風が吹いてきて僕は体ごと倒された。踏ん張りも利かなかった。 倒れているところを近所のおばさんに発見されて急いで救急車に乗せられて病院に搬送された。 僕の足を診た医者は…原因不明で治す手立てがないと宣告した。 そして僕の生活は一変した。病院に連れて行かれてそれ以来外の空気を吸う機会が極端に少なくなってしまった。 学校には行かないで(行かないというか近くに学校が無いので行けない)一週間に一回先生が病室へ出張してくれる。なので通常の勉強は自主学習なのである。 サボろうと思えばサボれる。だけど悲しいかな、やることがない。暇でしょうがないので退屈しのぎに勉強をするしかないのだ。 でもそのお蔭か成績は前より上がっている。ちょっと複雑な気分。 外出できるのも月に一回あるかないか。外の空気を吸いたくても車椅子で移動しなければならないし、面倒にも外出届も書かなくてはならない。 僕は外に出たいと思ったとき、窓の外を見て気を紛らわす。季節によって若干は変わるが配置は変わる事のない景色を。 僕は昔は外で遊ぶことが大好きだった。朝早くから陽が落ちるまで町中を走り回り、体中を泥だらけにして家に帰っているほどであった。 もちろん母はそんな格好で帰ってすぐは鬼の形相で叱るのだが、僕の充実しきった笑顔を見るとたまらず顔が緩んで服を着替えさせる。 家の中で遊んでいるより外で目いっぱい遊んでいる方が男の子らしいと父母いっしょな教育精神を持っていたので暗くなって帰ってきても容認してくれた。 だが今では足が動かないので、じっとしていられない年頃の子供にとってはとてもじゃないが耐えられない環境である。 時折自分の生きている価値について考えてしまうことがある。 今まであれだけ体を動かしているのが好きだった。だが足が原因不明の奇病で動かなくなった。 切り取られたならまだ区切りがつくのに足は現存している。感覚もある。だが動かない。いっそのことなくなってしまえば気持ちが楽だったかも知れないのに。 そう思うと自分の存在を自問自答してみる。 元気で動くことが取り柄だった自分。ではそれがなくなったらどうなのか? 答えは「なにもない」。まるで翼をもがれた鳥である。 トビ、ハト、カラス、カモメ、ツバメ、スズメ。みんな翼を持っており、空を自由に飛んでいる。 それではもしも翼を奪われたらどうなるのか?充分に餌を獲得できないのでまず生きていけないだろう。それ若しくは自由を奪われて人間に飼われるか。 例えるならば僕は鳥のような存在である。囲いに囚われることなく自由に大空を舞っていることが一番彼に似合うことである。 今の状態はまさに生きている価値がないように自分で思えるようになっているのである。苦痛でたまらないのだ。 ある日、僕はなにか心の奥底深くに決意を秘めて看護師に尋ねた。 ―――ねぇ、僕を死なせてくれませんか?――― その言葉を聴いた看護婦は僕の頬を叩いた。思いっきり、そして部屋中に響くくらいの音で。 人生のピリオドを打つには早すぎる年齢であり、人生を悲観するような病気・怪我でもない。 世の中には彼以上に精神的に肉体的に追い詰められて苦しい思いをして生きている人が沢山いる。 ガンの末期症状で襲い来る痛みと恐怖と真っ向から立ち向かっている人や、難病を抱えて数年生きることも難しい子供が生きるために命を賭けた大手術に挑んだり、家族のために死に物狂いで戦場で生き残っている人。 そんな人々から見ると彼の辛さはやさしいものである。 看護師は彼を車椅子に乗せて別棟へ移動した。なにがなんだかわからないまま連れて行かれるとそこで衝撃的な光景が目に入ってきた。 そこでは車椅子に乗った人たち――足がなかったり、足はあるが動かない人――が手狭な体育館を所狭しと走っている姿だった。 とても活き活きとした表情で、みんな顔の色が違っていた。 汗をシャツに滲ませながらも、苦しい練習に息を荒げていても、喜んでいるように見える。 これまでの僕にとってリハビリなどはただの気休めにしか思っていなかった。自分の足がリハビリによって元に戻ると期待できないのだし、幾度も動かそうとしたが微動たりしないので諦めていた。 僕の考えは間違っていた、いや彼らに対して失礼だったと後悔した。 たとえ治る可能性が0に等しいとしても治る可能性はある。そのチャンスをみすみす捨てていた自分が恥ずかしくなった。 ましてや僕の足は原因不明で解明されていない点が数多くある。なので彼らよりもチャンスは多いかもしれないのだ。 看護士さんは突然私に対して語りかけてきた。 ―――翼を奪われたとしてもそれが終わりではない。また新しく羽を付ければいいのだよ。そうすればまた大空を自由に飛べるようになれる。人間に大切なのは諦めることじゃなくて、何事にも挑戦することなんだ――― その言葉は私の心に深く突き刺さった。なんとも言えない響き。 翼がなくなったからといって“空を飛ぶ権利”を失ったわけではないのだ。飛ぶことができないだけで飛ぶ権利を失ったと考えるのはおかしいではないか。 だったら新しく翼を付ければ空へ舞えるのではないか。 看護士のこの言葉で今まで絶望の淵にいた自分が救われたような気分になった。 一ヶ月後、僕の姿は体育館にあった。 これまで投げやりの気持ちで続けてきたリハビリを熱心にやってみると思いの外楽しく感じられた。 車椅子の操作には最初は抵抗や苦労したけど、猛特訓の末にようやく今では乗りこなせるようになった。 入院生活で体力が衰え、普段多用しない筋肉を使うので長い間運動することはできないがそれでも体を動かすことが出来るのは非常に嬉しかった。 初めて車椅子で10m程走ったときには感激して涙が瞳に溜まって泣き出しそうになった程である。 走っているときに受ける風が心地よく僕の体を通り越していく。この感覚は足が動かなくなってからの方が何倍にも悦びとして噛み締められる。 陸上専用の車椅子を借りて走っているが本当に面白く、楽しく、嬉しい。同じ境遇の仲間もここには沢山いる。 まだこの世界に序の口にも達していない。だが僕には目標がある。 数年後のパラリンピックに出場して金メダルを獲得する。世界から集まってくるアスリートを追い越して僕は世界一という頂に上り詰めてやるのが今の夢。 ―――翼を奪われた鳥だって再び大空へ還る方法は沢山あるんだ。―――
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