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話は少し前に戻る。
京の街で坂本が桂・西郷の仲介に奔走していた頃、中岡は山城国を抜け出して近江の琵琶湖畔にいた。
その片手には珍しく小さな花を抱えて。
常人の足なら京から半日かかるが彼はその二倍の速さで歩ける。
無論彼の脚力もさることながら普通の旅人は知らない抜け道を知っている事も早い事に関わってくる。
いつもの暢気な表情とは一転して真面目な表情だった。
「懐かしい・・・何もかもが変わっていない。」
周囲には誰の姿もない。ただただ一人である。
何処からか流れ着いた流木に腰掛けると、薄暗い空を見上げた―――。



かれこれ昔に遡ること二十年前。
彼が立っている場所には静かな漁村が存在しました。
街道筋から離れていることもあって往来は少なかったですが、琵琶湖から獲れる豊富な魚で小さいながらも賑やかな市場も開かれていました。
その土地柄なのか他の土地から来た者を大変に受け入れやすいのでありました。
彼も少年時代はそんな村で自由奔放に育っていきました。
パシャッ
「やった!魚を捕らえたぞ!」
銛を巧みに使い、魚を突いて見事に次々と貫通していきます。
魚に照準を定め、一瞬の隙を見逃さず、正確に銛を投げる。簡単なようで難しいこの動作を楽にやってのけた。
「頑真。お前は絶対村一番の漁師になれるよ。」
「へへへっ。でも寺だから無理だよ。いつかは頭剃ってホトケの道に邁進しなければならないし。」
頑真、八つ。村でも有名な元気な子供でした。
魚はその場で火を焚いて薪を入れ、焼き魚にして食べる手つきは非常に慣れています。
時には包丁を借りてきて生の魚を捌いてそのまま塩を付けて食べることも。
そんな様子に呆れた漁師は彼の父に相談しに行きます。
しかし坊主である父はこう諭しました。
「まだあの子は仏門に入っていない。今の内に自然の有難味を十二分に知っておくべきだ。」
仏門に入っている者とは思えない父親の考え方です。
この考え方が今の彼を支えていると言っても過言ではないでしょう。

しかしその幸せで満ちあふれた生活が突如一変します。
「父上。本日も遊びに行ってきます。」
「あぁ。」
いつものように太陽が昇りきらない内に湖に遊びに行くといつものように水泳をしていました。
毎日湖に行っては対岸まで泳いでまた帰ってくる。同じ村の子供でこんな事出来るのは彼くらいしかいません。
そして対岸まで泳ぎ切っていざ自分の村まで帰ろうと振り向いた時でした。






村から無数の煙が立ち上っていたのです。






自らの目を疑いました。普段は煙なんて立つこともないのに何で今日に限って村から煙が出ているのか。
夢ではない。現実なのです。
直ぐさま対岸まで直線的に無我夢中に泳ぐと更に状況は悪化していました。
家は焼かれ、市場は血の真っ赤な色で染められ、人々が呻いていた。正に地獄絵図の光景である。
と、その中に同い年でよく遊んでいた子供を見つけました。
体中は血だらけになり、俯せで倒れていました。
「おい!何があったんだ!」
大きな声で叫ぶように訊ねると息絶え絶えになりながら声が返ってきました。
「・・・りょ、りょうしゅさまが・・・・攻めてき・・・・・・・」
そこでパタリと声が途絶えてしまった。
近くから大人の声が聞こえた。明らかに村の人の声ではない。
「おい、この村の者は全て殺したか?」
「はっ。大方は。家々も焼き払いましたので生き残っている者はいないと。」
「全く、この村の者達はほとほと弱ったものだな。近隣の村々は増税に異論なく頷いたがこの村だけは徹底的に反抗していたからな。それに賄賂もよこさない無礼者の集まり。ちっぽけな村一つなくなったって所詮変わらないのだし、みせしめにも良い効果だな。がっはっはっは!!!」
燃えさかる家々を背景に対岸に聞こえるほどの高笑いをしていた。



幸いにも藩兵に見つかることなく無事に難を逃れることが出来た。
そして事の詳細を数年かけてようやく割り出す事に成功した。寸分の狂いもない事実を・・・。
その地方の藩主は非常に強欲で絢爛豪華な生活を送るために民衆に多大な税をかけていた。
しかし幕府から次々と大名達の財力を削ぐ政策を打ち出し、見事に藩の財政は火の車になった。
そこで新たに増税を課そうとしたが猛反発。裏から圧力をかけるも一つの村だけは徹底的に反対した。
見るに見かねた寺の住職(つまり頑真の父)が幕府に対して陳情書を提出しようと画策していたところを事前に藩主に暴かれて、村ごと焼き討ちに走った・・・というのが経緯らしい。
その後他の村から陳情書が幕府に差し出されて首謀者である藩主は切腹。領地召し上げと相成った。
もちろん此処で陳情書を近江から江戸まで運んだのは亡き住職の形見、頑真である。
この働きを高く評価された頑真が身の安全を考えて庭番として雇われることとなった。





今では松林や荒れ果てた土地となったが、彼の心の中には市場の賑わいが蘇ってくる。
松林の一角に多数の大きさがバラバラな石が置いてある場所がある。
近隣の村々が藩主にばれないようにコッソリと犠牲になった人々の冥福を祈るために作られた墓である。
一見すると只の石ころ置き場だが、大小様々な石を置くことにより幅広い年代の魂を鎮めるという意味合いがある。
今では誰も訪れる事が少ないが、残された生存者である頑真は機会があると真っ先に念仏をあげに訪れる。
大量の束になっている線香や蝋燭に火を付けて、静かに念仏を唱える。
「南無阿弥陀仏・・・南無阿弥陀仏・・・」
「何やっている。和尚。」
正に心臓が止まりそうな驚き、とはこの事を指すであろう。
いつの間にかお龍が背後に居たのだ。しかも知らぬ間に肩に乗って。
「うわ、お龍か。脅かすな・・・。それよりお前こそ何故此処に?」
邪魔だと言わんばかりに肩を上下に揺らすとお龍はようやく肩から下りた。
「和尚が何か馬鹿騒ぎしないか見張って。」
「・・・あのなぁ。刀も持ち歩かずに花束抱えて線香や蝋燭を大量に買い込んで更に近江にまで来ているのだぞ。」
「でも心配。何が起きるかわからない。」
淡々と話すお龍に半ば頭を抱えてしまった。
「・・・わぁった。話そう。私は故郷に墓参りに来たのだ。」
「知っている。」
「叩っき斬ったろうか。この野郎。」
完全にお龍の流れにはまってしまった。これでは噺家が口上をしているみたいだ。
斬る、とは口にしたが生憎斬る刀がない。
理由聞いたのに知っているなら聞くな、と誰もが突っ込みたくなるであろう。間髪入れずに返事をしたのも素の言葉に戻ったのもその現れである。
「そう怒るな。拙者も存じている。」
「では聞く必要は無かろう。」
「一応調べたが、真偽がイマイチ定かではなかったので。」
「この格好見て一目で判断できるだろう。」
こうして押し問答は半時程続いた。





手玉にされているようで気に入らないのか、遂に和尚から話さなくなった。
勤行を一通り終えて元来た道に戻ろうとするとお龍がいない事に気が付いた。
(・・・上様からの任務か。それとも他の用事か。はたまた―――。)
その次を考えることはやめることにした。彼女なりの気配りのつもりなのであろう。
一人寂しく山の向こうに沈む夕陽を拝みながら一人近江路を後にした。






京の都に舞い戻ったのは既に日を越して宵闇から徐々に明るくなってきた頃である。
そんな宵の刻は誰もが寝入っている頃なので寺子屋の者を起こさないように静かに部屋へと戻っていった。
障子を開けて仮眠でもとろうかと思ったとき、背後から声が掛かった。
「朝帰りとは何事だ。頑真。」
その声の主は上様だった。
いつもなら坂本が夜の明け切らぬ内から日頃の鍛錬を行っている時間なのだが今朝は珍しく寝入っている様子なので安心しきっていた所にお呼びが掛かり心臓が飛び出る心中であった。
「う、上様。何故このような辺りが闇に包まれている時間に起きていらっしゃるのですか?」
「江戸にいるときはいつもこの時間には既に目が覚めている。日中は政務に追われて身体を鍛えることは出来ないから毎朝早起きしては身体が鈍らないように鍛錬している。幼少の頃は勉学と鍛錬に追われておったのに。ははは。」
「ははは。流石上様。毎日の鍛錬は怠らないようで。必ずや神仏のご加護がありましょう。」
「それは頑真にも言えるのぉ。」
何から何まで察知している様子だった。
一日休暇を取って更にこんな夜の明け切らぬ頃まで掛かる大切な用事。過去の忌まわしき想い出に至るまで。
「折角近江路を通ってきたのに自分の故郷へ墓参りにも行けないとは世知辛いからな。故郷の者達への供養へ行っていたのだろう。感心な奴だ。」
「・・・上様はいつもそうですな。初めてお会いした時から全てを見抜いて冷静な判断を下して参りました。」



また時を遡る事十数年。
立派な青年へと成長した頑真はある決意を胸に秘め、江戸へやって来た。
“過去の惨事を将軍に報告して領主に天罰を下してもらう。”
他人から見たらなんと無謀な考えだ、と思われたに違いない。
そして決行の日。意外にも難なく江戸城の内部に潜入することは成功したのである。
だが最大の欠陥は江戸城内部を把握出来ていないことだった。
本丸に辿り着けず西の丸にまで迷い歩いた。
そこで不覚にも小さな子供に発見されてしまったのだ。
これは年貢の納め時。最早これまでか。そう絶望しかけた時だった。
「ねぇ。お主どうやって城に潜入したのだ?」
その子供は何処の馬の骨とも判らない者に気軽に声を掛けてきたのだ。
次第に私の心は氷が陽の光に当たって溶けるように緊張が解れていった。
そして事の経緯を説明して自分の目的を話すとその子供は私を連れて何処かへ案内していった。
行き着いた先はなんと将軍の居る場所だった。
「父上。お話したき事が御座います。」
「なんだ。申してみよ。」
子供は私に目で『入ってこい』と言わんばかりの合図を送っていた。
部屋に入った私は村で起きた全ての事を話した。その事に将軍様は唖然とした。
数日後、迅速な手続きを経て領主に厳しい沙汰が下った。
それにはあの子供も一枚絡んでいた事は歴史の裏側にあって決して誰にも語られることもない真実である―――。



「それから私は上様に名字を賜り、こうして今行き永らえているのです。」
いつの間にか夜の闇は何処かに隠れてしまい、太陽の光が燦々と射し込んできた。
下の調理場からは包丁の音が聞こえている。宿の者達も起きたようだ。
「・・・はて、話し込んでいる内に夜が明けたようですな。では私はお勤めに参りますので失礼致します。」
「待て。お主のせいで鍛錬が出来なかったではないか。お主も手伝え。」
上様の表情には屈託のない笑顔があった。
それは初めて会った時に見せた笑顔と寸分狂いがなかった。
「心得ました。最近私も足腰が鈍ってきていましたので丁度良かったです。手加減は致しませんのでご容赦を。」
そう言って二人は庭へと出ていった。
はてさて、どちらが先に倒れるのだろうか。それは雌雄が決しない限りわからないだろう。




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