アクシデントはあったがどうにか予定していた宿場に到着すると旅籠宿に直行した。
部屋に通されると二人はごろんと畳の上に寝転がった。
「はぁ〜〜。」二人は同時に大きな溜め息を吐き出した。
大分疲れたらしい。当然である。雨で体力を奪われ、急襲された時に精神的・肉体的に疲労を蓄積し、更に遅れた分を取り戻すため早足で歩いたからだ。
「拙者、疲れたので先に夕餉を頂いて寝させていただきます。」
「私も同感です。最近体を動かしていなかったので先程のが腰に来ました。」
坂本はむくっと起き上がると先程使った剣を鞘から出した。
血が付いているので丹念に拭いているのだ。切れ味が衰えないように毎日の手入れは欠かしていない。
「几帳面だなぁ。」中岡の言葉も耳に入れず黙々と作業を続けた。
名剣“雨露”。父が坂本の出立の時に餞別として持たせてくれた刀だ。
全国で名前が知られていないが、腕は一流な鍛冶師に頼んで丹誠込めて作らせた一品である。
切れ味は抜群、持つとしっくりくる、重さもあまり軽くなく負担にならない。そういう意味で彼は非常に気に入っている。
如何に熱い場所でもその剣の輝きは蒼く見えるので父が銘をつけたらしい。
「拙者の大切な刀だ。手入れを怠ったりしたら罰が当たる。」
最後の手入れを終わらせるとようやく口を開いた。
鞘に収めた頃、宿の者が食事を運んできた。
食事を無我夢中に食べ、満腹になったら風呂に入り、そして布団も敷かずに深く寝入った。



目が覚めると既に陽は高いところにまで昇っていた。すっかり夢見心地が良かったらしい。
隣で同じく死んでいるように眠っている中岡を叩き起こすと身支度を整え、駆け出すように宿を後にした。
「また珍しいですな。」中岡が言った。
「なんでですか?和尚殿。」寝起きで少々気が立っているらしく、少し語気は強い。
「貴殿が深く眠るとは珍しいですのぅ。普段は陽が昇る前に私を起こして下さるのに。」
「たまには和尚殿も自分で起きる鍛錬をなさったら如何ですか?」
ギロッと半ば自分の意志が棘のように言葉の中に仕込まれた。
「いやいや、私なんてとてもとても・・・。」
中岡はのろけて言葉の真意の棘を避けた。



確かに今日は夢見心地が良かった。
昔の夢を見たのだ。上様に仕えていた頃の事を・・・。
ふと目線を落とすと父から餞別に頂いた雨露ともう一太刀が腰から下がっていた。
このもう一本の太刀に纏わる話である・・・・・・・・。




それはとある夜だった・・・。
その夜、拙者は寝ずの番で上様の寝室警護に就いていた。
「・・・永禮。」
「はっ!」上様から声を掛けられ、直ぐに振り向いた。
どうやら寝付きが浅く、眠られていないらしい。
「余と一局将棋でも打たないか?」
急に言われた言葉だった。上様は非常に活発な方で分け隔たり無く優しくする名君であった。
そんな主君を尊敬の念で見ている私がいた。しかし主君は近い年代の私を気兼ねなく話せる唯一の存在として見ていた。
またいつもみたいに上様は予想していない事を言う、と心の中で思った。
警護の仕事を怠ったら上方からこってり叱られる。しかし最も偉い上様からのお願い。
どうせ私がいるのだから襲われても大丈夫だろ。そんな気持ちで上様との対局を受けた。
「手加減したら承知しないからな。」上様は開始直前に拙者に対して言った。
またしても頭を悩ました。もしも此処で拙者が本気で勝ったら上方から雷が落ちる。手加減したら上様直々に手打ちに遭うし。
しかも私の将棋の腕は若手の中でも相当のやり手で、老獪とも互角に渡り歩ける。
本気を出したら上様には申し訳ないが圧倒的強さで勝ってしまう。
その困惑の表情をみた上様は語りかけてきた。
「永禮。」
「はっ。」
「そなた。もしも一人の剣客がお主に勝負を挑んできたとする。」
「はっ。」
顔は将棋盤の上の戦局を見つめながら淡々と話している。
それに私は相槌を打ちつつ相手の一手に集中する。
「其奴はお主より明らかに腕は弱い。しかし一度受けた建前、今更『貴様は出直してこい』とは言えない。さぁ、どうする?」
「それは・・・。」
私は答えに詰まった。
「手加減したら相手に失礼極まりない。更に一歩手を抜くと自分の命すら危ぶまれる。例え名も無き侍でも、余でも。」
この言葉で自分の気持ちがハッキリした。
上様が言っているのだ。後々のことなどどうにでもなる。今はこの局に集中しよう。
今まで様子見だった駒達も積極的な動きになってきた。
そして残りは相手の王将のみとなった。
「さぁ、何を躊躇している。早く首を獲るんだ。」
発破をかけるように話しかけてきた。
「上様。最初から諦めてはなりませんぞ。」
「何を言う。余の駒は王将のみ。下手に足掻いても醜いだけ。潔く負けを認めた方が侍らしい。」
その表情は何処にも悔いはない、という風に見えた。
「では、失礼ながら・・・。王手。」
自らの駒が王将の前に立った。
「参りました。」
その瞬間上様は私に対して頭を下げた。
「いやはや、流石城内で噂になるほど強いと聞いていたが。此処まで強いとは。」
「いえ、上様もなかなかで御座いました。」
「おぉ、そうだった。そなたに褒美を渡さなくてはな。」
思い出したように寝床の方へ向かっていき、寝床の側に置いてあった太刀を持ってきた。
「余に勝った褒美だ。受け取れ。」
それは上様がいつも愛用している太刀“紫電”だった。
片身離さず持ち歩く“紫電”は由緒正しい鍛冶師の家系で有名な者に頼んで作らせた幻の一太刀である。
この刀で切られた者は体に電撃が走るように感じられるらしい。
何より刀身が不気味にも薄い紫色に見える事もあってこの銘が着いた。
「え!?しかしこれは上様が大事になさっている・・・。」
「構わん。これではイヤか?」
「とんでも御座いません。恐悦至極に存じます。我が身果てようとも必ず大切にさせていただきます。」
その刀は意外にも軽かった。そして自分の手にしっくりくる感触があった。
刀身を鞘から出してみると装飾が少ししか施されていない部分がまた自分では気に入った。
鞘に収め、将棋盤を片付けると上様はいつの間にか眠りについていた。
その表情は安心しきった笑顔のような寝顔だったことを今でも覚えている―――。




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